我流傍流ド三流

まとまったテーマやコンセプトは全くないつもりです

ダンガンロンパV3とはなんだったのか?-ニューダンガンロンパV3 みんなのコロシアイ新学期 感想-

 数日前からプレイしていたダンガンロンパV3をクリアしました。めっちゃ面白く、一言で言うと「最高」なのですが、思ったことをいろいろと何かに書きたいと思ったので、記事数2ですでに化石と化していたこのブログを引っ張り出してきた次第です。前半では、ダンガンロンパはどう面白いのか?ということをばーっと書いていくのでダンガンロンパが面白いことなんて分かっとるわいという方は飛ばしていただいて構いません。シリーズ最新作であるV3のネタバレを含む感想は後半以降で書きたいと思いますので未プレイの人は気を付けてください(誰が読んでいるのかというツッコミはさておき)。

 

 

ダンガンロンパ1・2 Reload
 

 

 

 このシリーズの1作目は2010年発売でした。僕が初めてダンガンロンパスクリーンショットを何かの記事で見たとき、「いやこれ逆転裁判じゃん。ちょっとカプコン法務部きて~~~~」と思いました。裁判で容疑者の証言からその矛盾を指摘し事件の真相に迫るという内容で、これは逆転裁判シリーズのキモとも言える部分だったからです。もしやカプコンから出るのかな?とも思ったのですが、開発元はスパイク・チュンソフトという、ああ合併か吸収かあったんだなということだけがわかるソフト会社でした。それぞれの社名こそ知っていたものの代表的なタイトルは知らなかったこともあり、これは挑戦的なタイトルだな~と思ったのは覚えています。ちなみにチュンソフトのゲームは、バンダイから発売されたあの最強の携帯機ワンダースワンで出た「スペースインベーダー」だけはプレイしたことがあります。

さらに、キャラクターデザインもなかなかクセがあり、マンガ的というかアニメ的というか、なんかギザギザしたタッチで裁判っぽくない、悪く言えば空気読めてないような感じで、あ~奇を衒ってんなと思いました。これが僕のダンガンロンパに対するファーストインプレッションです。率直に言うとその時点では敬遠していて、積極的にプレイする気にはなりませんでした。

 実際に僕がダンガンロンパをプレイするのは、それから3年、あるいは4年経ってからのことです。はっきりいつということは覚えていませんが、ソフトの発売自体は僕が高校生だったころで、プレイしたのは大学生になってからです。僕がプレイに至った理由は、気づいたらソフトが家にあったからです(弟が買ってきた)。

 そもそもこのダンガンロンパがどういうゲームなのかという説明をします。ジャンルは「ハイスピード推理アクション」で、誤解を恐れず言えば前述の逆転裁判の裁判パートにアクション要素(メンバーの発言の矛盾を指摘し論破するシークエンスやミニゲーム)を加えたゲームシステムが特徴です。シリーズ各作品に共通するあらすじは以下の通りです。

「"超高校級"の才能をそれぞれ持った高校生たち16人が、どこともつかない閉鎖空間に閉じ込められてしまう。彼らは記憶を奪われており、閉じ込められるまでの経緯を全く思い出せない。そこに現れた謎のマスコット"モノクマ"によって、"コロシアイ学園生活"への参加を強制される。彼らは他の参加者を殺害することでゲームを生き延びなければならない!繰り返される裏切りと疑心暗鬼の中、彼らは生き残ることができるのか?できないのか?できるのか?」

 

…いや、ダサくない?

初見の時の僕はそう思いました。「21世紀がもう10年も終わっちゃったってのにデスゲームって、バトルロワイアルじゃないんだから。しかも"コロシアイ"ってカタカナにしちゃうとことかモノクマのCVが大山のぶ代なとことか痛い中学生の思い付きじゃないんだからさ~~~~。スマートじゃないよねなんか。そんでロンパって。2chでID真っ赤にしてるヤバい奴かよ。16人のキャラたちもなんか個性があるというよりは記号をそのまま背負っちゃった感があってわざとらしいし、全体的に狙いすぎでは?スベってる~。でも主人公のCVは緒方恵美じゃん、いいね~(エヴァオタ)」という感じで、めちゃくちゃナメた姿勢でプレイを始めたのです。言わば舐めプです。今思えばゼロ年代終わりからテン年代前半にかけてはデスゲームものっていろんなメディアで流行ってましたし、僕が明らかに世間とズレていたオタクだったかということが分かります。しかも僕には「論破」を「ろんは」と読んでいたという過去があります。

 そんな感じで舐めプを始めた僕は、早々にその舐めを返上することになります。そもそもこの"コロシアイ"のルールを説明すると、「閉鎖空間から脱出するためには誰か他のメンバーを殺害しなければならない。その上で、事件発生後に開かれる"学級裁判"でその嫌疑から逃れることが条件である。その場合、犯人(クロ)だけが閉鎖空間から解放され、残りのメンバー全員は処刑される。逆に裁判でクロが特定された場合は、クロひとりだけが処刑され、ゲームは続く。」こんな感じです。基本的には裁判で真相を暴きクロを見つけ出すという展開なので、ゲームが進行するにつれてメンバーは減っていきます。一回の事件で、少なくとも2人は消えていくことになります。プレイを続けるうちに、初めはあれだけどうなの?と思っていたキャラ達の魅力に引き込まれていき、メンバー全員クセあるけどそこがそれぞれいいよな~みたいな気持ちになっていきます。普通に彼らを好きになっている自分がいるのです。しかしモノクマは巧みに彼らを殺人に誘導し、ゲームを進めようとします。さらに恐ろしいことに、ゲームが進むにつれこの世界の謎、つまり彼らがなぜこういう状況に陥るに至ったのか?このゲームの目的は何か?誰が彼らにコロシアイを強要しているのか?という問題が少しずつ明かされていきます。しかしゲームが進めばせっかく好きになったメンバーの誰かが死にます。だけどすべての真相も知りたい。このジレンマにとらわれながら、それでもプレイヤーはゲームを進めるのです。個人的にはこのジレンマこそがダンガンロンパのキモであり一番の魅力で、V3に繋がる最も重要な要素だと思いました。

 ダンガンロンパの魅力は他にもあります。それは「B級感」です。前述の通り、キャラデザの雰囲気を始め、モノクマのキャラ設定やはちゃめちゃな言動、2.5Dで描かれるグラフィックなど、かなりクセのあるテイストになっています。他の超大手ソフトメーカーに比べておそらく低予算で戦うために、かなり個性を尖らせて、奇抜で挑戦的な内容に仕上げたのでしょう。僕が初めに感じたダサさも、このB級感に組み込まれてしまえば立派な武器として立ち上がってきます。僕自身がタイトル発表当初に「これ当たるの?」と思ったということもありますが、このシリーズはなんというか「やったれ感」に始まっていて、面白そうなものはなんでもブチ込むその勢いや思い切りのすがすがしさも魅力なのです。言い換えるなら悪ふざけをも厭わない姿勢です。このゲーム自体が「いい意味での」悪ふざけでできているような気さえします。なにもすべてが完全である必要はない、尖っていて面白ければ破れかぶれでもいい、そんな「B級感」です。

 そんな中でひとつ「超S級」とも言える要素があります。それは「いやらしさ」です。コロシアイや学級裁判のルール、モノクマのキャラクター、上述のジレンマ、残酷なシナリオ展開など、本当にいやらしいと思わされるものばかりです。制作者の方々、あるいは指揮を執った方は間違いなくいい根性してると思いました。マジで性格悪いなと思った場面が多々あります(褒めてる)。この「いやらしさ」もダンガンロンパを魅力あるタイトルにした要素のひとつです。

 ダンガンロンパとはそんなゲームです。オープニングからエンディングまで、ずっと高すぎるテンションを保ちながらノンストップでプレイヤーを連れて駆け抜けていくようなゲームです。先へ先へとボタンを押す指を止められなくなります。そうするとどうなるのかと言えば具体的には精神と睡眠時間が削られます。

 

 以下、ニューダンガンロンパV3の感想です。ネタバレを含みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  第1章の主人公交代もなかなかインパクトがありましたが、捜査時点での赤松の行動の不自然具合からある程度予想はついたのかなと思います。だって最原のCV林原めぐみだし。いやなんの根拠にもなってないけど。第2-5章は大体いつものダンガンロンパって感じでした。でも王馬はいいキャラでしたよね、嫌な奴だけど死んでほしくないな~と思わせるキャラ作りは本当に上手い(死んだけど)。自分の命をかけて何かを明らかにしようとする姿勢は狛枝に通じるものがあって、僕は彼の死に様がとても好きだったので王馬のモノクマを欺こうとした行動にも心を打たれましたよねー…。そういう意味では死んでこそみたいな魅力とも言えるし、これもまたジレンマだなと思います。女の子では一番入間ちゃんが好きです。

 V3の最も良かったところはなんと言っても第6章とそのオチでしょう!ダンガンロンパの結末にふさわしい盛り上がり、これこそダンガンロンパだよ!とか思いながら一気にエンディングまで進めました。なぜ第6章こそがダンガンロンパなのか?その説明をしたいがために僕は長すぎる前半部分を書きました。

 事件の首謀者は白銀で、彼女のコスプレとして江ノ島が三度登場します。この時点で、うーんお約束、これぞダンガンロンパだね。さあ懲りずにのこのこ復活したギャルをボコして終わるぞ~、と思いつつ、一方いやこれで終わる?さすがに…みたいな気持ちも抱えながら進んでいきました。そこで明かされる才囚学園の正体!今までのダンガンロンパを捨て、リアルフィクションに進出したニューダンガンロンパV3!VⅢ!53!フィフティスリー!!!!

はいカッコいい~~~~~~。

こういう言葉遊びマジで好きです。アニメダンガンロンパ3のタイトルまでも伏線として巻き込んで仕込まれたこのトリック、明かされた時は普通にあー!って声が出ましたよね。見事すぎ。騙された~~~~~~~。エヴァ的じゃないですか?というか初めから思ってたけどエヴァ声優多くない?制作陣の偉い人の中にそういう人いるでしょ。大御所を揃えたらこうなっただけ?そんな珍しくない?そうですか。…そして!この才囚学園でのコロシアイは、ゲームやアニメで展開されていたダンガンロンパシリーズと違って、現実の人間が行っているのであった!!…へえ、うん。いや…

じゃあ最原って俺じゃん!!!!すげーーーーー!!!

登場人物たちも過去のシリーズを「ゲームやアニメ」で体験していたのです。じゃあそれって俺たちと同じじゃん。同じものを体験して、同じものを好きになる…それって""魂の仲間(ソウルメイト)""じゃん。ゲームのキャラクターだった彼らが、自分たちと同じところに一段降りてくる感覚というか…妙な親近感と不思議な感動を覚えました。ではこの才囚学園でのコロシアイとはなんだったのか?それはオーディションで選ばれたごくごく普通の高校生たちが、今までのあらゆる過去と引き換えに、「超高校級の才能を持っている」という嘘の記憶を与えられた状態で行われるデスゲームだったのです。たとえるならばデスあいのり、デステラスハウスみたいな、そんな感じです。ほら、オープニングムービーでも番組制作会社の名前出てたでしょ?「TEAM DANGANRONPA」って。大人気シリーズ(大人気すぎて52作まで続いた)ダンガンロンパに参加できるとあらば何もかもを犠牲にできるダンガンロンパファン、それが今回の参加者16人だったのです。その証拠に、最原のオーディション映像が途中で出てきましたね(本物か偽物かはさておき。僕はこの映像がめっちゃ好きなので本物だと思っています)。「ぼ、僕は昔からダンガンロンパの世界やキャラたちが大好きで、ずっと出たいと思ってました。もし出られるなら"超高校級の探偵"ってキャラがいいと思ってて、今までの探偵ってみんないいキャラばっかだし、あ、出られればなんでもいいんですけど、殺し方とかもいろいろ考えてるんです!探偵がクロって今までなかったからいいと思うんです!…(こんな感じのセリフです)」

いやこれ俺じゃん!!!中学生当時にプレイしたものと仮定した場合の俺たちじゃんこれ!!あとオタクじゃん!!!!!!

いそう~~~~。ダンガンロンパに出演してる妄想する中学生いそう~~~~~。中学生なのに自分の"超高校級"の才能考えてる奴

男女問わずいそう~~~~~~~~~。ダンガンロンパがどんどん僕たちの方に寄ってきます。しかしダンガンロンパはそれを許しません。さらなるスピードで僕たちをチギりにかかります。キャラとプレーヤーが同じ立場に存在しかけたその時、新たな事実が明らかになります。このコロシアイはデスあいのりです。それはつまり視聴者が存在するということになります。このコロシアイを手に汗握りながら見守っている存在がいるということです。橋の上から地中海に飛び込んだ衝撃で処女膜をブチ破ったヤマジを見ていた僕たちのように。じゃあその視聴者って誰だ…?そう、それって

俺たちじゃん!!!!!!!!

誰よりもコロシアイの開催を望み、コロシアイを楽しんでいた人間…それはプレーヤーに他なりません。そして当の参加者たちはこのコロシアイを止めるためにずっと行動してきたのです。そして彼らは叫びます。「こんな狂ったゲームを楽しんでいるなんて最低だ!!!もうやめてくれ!!!!」彼らが糾弾しているのは、僕がこのゲームで一番魅力的だと感じている部分、「殺人起きて欲しくないけど殺人起きてくれのジレンマ」です。すごくないですか?過去のシリーズ作やキャラクターだけでなく、ゲームの一番面白い部分さえもどんでん返しのために利用する、「驚き」のためにすべてを賭けるこの姿勢。でもこれって当然でしょう。だってダンガンロンパだもん。ダンガンロンパって最初からそうじゃん!なりふり構わずすべてを賭けて挑戦するのがダンガンロンパだったじゃん!せっかく獲得してきたファンたちを失望させるかもしれない、それでもこの第6章をやることこそが、その姿勢を何よりも表現しています。こんなことができるのはダンガンロンパというタイトルだけです。ある種のB級感、いやらしさ、奇抜さ、今まで培ってきたものすべてがこの展開を可能にしているのです。なぜならダンガンロンパじゃなければこの展開はただの"破綻"なのだから。ダンガンロンパは恐れない、ダンガンロンパは守らない。絶望の荒波に漕ぎ出していくのがダンガンロンパであるとすれば、このV3第6章は、どのダンガンロンパよりもダンガンロンパです。僕がこの作品で一番感動したのはここです。ゲームそのものの在り方とシナリオ展開が完全にシンクロして、誰にも追いつけないところまで突き抜けていったことで、どんなゲームよりも衝撃的で美しい終局を見せつけたと思っています。

 

…とまあこんな感じでダンガンロンパV3について思ったことは以上になります。自分の感想を文字に起こすのは難しくも楽しいものですね。続編がもし出たら絶対にプレイしたいと思います。今作での説明が嘘でも、それはそれでいいと思えるからです。だってダンガンロンパV3のメインテーマは「嘘」だから。

 

最後に一つ!

ダンガンロンパV3は実質旧劇場版エヴァンゲリオンエヴァオタ)」。

 

劇場版 NEON GENESIS EVANGELION - DEATH (TRUE) 2 : Air / まごころを君に [DVD]
 

 

 

 

なぜオタクは早口で喋ってしまうのか?

まず、タイトルにオタクとありますが早口で喋ってしまうのは主に僕です。僕のTwitterタイムラインにはオタクにカテゴライズされるであろう人が多いと思うので目を引くかなと思い主語を大きくしてみました、すいません。すいませんついでにもうひとつ、この記事を書き始めている今時点において、この問題に対する結論みたいなものは一切定まっていませんので、よければ皆さんも一緒に考えてみてください。


冒頭でも述べたように、僕は喋ってるとついその速度を上げまくってしまいすごい早口になってしまいます。しかもそもそも滑舌も悪いしすぐ詰まるしで会話の相手には非常に聞き苦しい思いをさせてしまっていますし、やっぱり僕も頭良く、かっこよく見られたいという気持ちが多少、むしろ多分にありますから、会話の随所に横文字を潜ませてみたりするわけです。この前もtacticallyと言おうとしてこの一語だけで6回噛むということがありました(結局諦めた)。この夏まで身を投じていた数多の就職面接でも、何度面接官の苦笑いを見たかわかりません。中には、「いやー、それは頭の回転が速い証拠だよ」と仰ってくれた方もいましたが、やはり大半は「あちゃ〜〜、すごい緊張してる(笑)」とでも言いたげな表情で僕を見つめていたため、就活サイトで面接中はおてては膝の上!というお説教を見ていた僕の膝が手汗でシットシトになっていたことも一度や二度ではありませんでした。


ここまで書いてきて気づきましたが、文章においても明らかに句読点が少なすぎて一文でグダグダ言いすぎです。特に文章では息継ぎの必要がなく聞いている相手の表情もないので虚空に向かって無限に言葉を投げられるから際限なく書いてしまうのでしょう。コミュニケーションにおける想像力の少なさが如実に表れていますし、本題に入らなさすぎです。


とにかく本題は、なぜ僕が早口で喋ってしまうのかということです。考えてみます。



仮説1. 会話を裁判と勘違いしている

僕は逆転裁判の1と2をクリアしたほどの男です(3の途中で止まっています、好きなキャラクターはチヒロ憑依マヨイ)。なので一対一の会話になると、自分の主張を通したいという、自分が気持ちよくなる以外のメリットが全くない欲求が僕の中のナルホドくんから立ち現れます。すぐ机を叩いたり、相手を指さしたり、証拠品を提出したくなります。調子がいいときはちょっと抜けてる(髪も)気のいい裁判長も見えてきます。とまあこれは冗談としても、とにかく自分の主張をハイスピードでまくし立てることによって相手を打ち負かし、ぐぬぬと言わせたい気持ちがあるということです。こういったときは大体ボルテージが上がっているので論戦という形式においては完全に負けています。車に乗ってボクシングのリングに上がるようなものです。しかし考えてみると自分の中で会話が裁判モードに入っているときは、なるだけ相手に隙を与えたくない気持ちがあるので、実際のところめちゃくちゃ慎重に言葉を選んでいます。これを言ったら相手はこう返せるな、じゃあこれじゃなくてあれを言おう、そんでああ返ってくればそれを言ってやれば…みたいなことを考えるので一気に口数が減ります。そもそも会話を裁判と捉えている時点で大問題ではありますが、これは早口の原因ではなさそうです。閉廷。


仮説2. 発言を一意に理解させたい

これはこの文章を書いてて気づいたのですが、Twitterでも括弧とともに但し書きを乱発しています。文章では基本的にはボケですが、こういう注釈みたいなことを会話の中でもめちゃくちゃやってる気がします。Aって言い換えるとBなんですけど、このBをアレソレするとCになります、あっちなみにこのBってのはDの仲間で、まあそれはいいんですけどCに戻ると…みたいなABCでええやんけ的な、すごいわかりにくい例えなんですけど、すべての情報を相手に渡そうとした結果、爆速で喋ってしまうみたいな感じですか。まったく例えにもなってない今の例えいらねえなと思いますけど。伝えるべき情報の取捨選択を、たぶん相手の表情やらなんやらから行うべきなんでしょうが、まあ下手なんでしょうね、普段何見て喋ってんのかなという感じです。誤解されないように全部言おうとするとこうなるということなのかもしれないですね。


仮説3. 知識で人を殴りたい

自分の得意な分野になるとオタクが急に饒舌になるというのは、2016年のオタク界では既に常識中の常識と言っても過言ではありません。やはりオタク戦闘力の根幹を担うものといえば今も昔も知識の過多ではないでしょうか。筋肉のある人がやたら薄着になってその肉体をアピールしたがるように、オタクも長年溜め込んだいつ役に立つか全くわからない知識を披露する隙をずっと探しています。最近よく見られるものとしては、「Aは実質B」などといった、もはやこじつけ以外の何でもない謎キメラ錬成が挙げられます。これは己の分析力を誇示し、それをもってバラバラに分解したAの各要素と同様の性質を持つ全く別のBを自分の頭の中のライブラリから探してくるという知識量の多さを見せつけることができる技であるからです。あと、AとBがパッと見で違うものであればあるほどその場のオタクが盛り上がるという便利ツールでもあります。実際AとBは違うものであることがほとんどです。でも実質AはB理論楽しいよね。



ここまで3つの仮説をあげてきましたが、そろそろ飽きてきたしほんとは8こぐらいいけると思ってのに全然出ないしまとめると、結論としては、


オタクは会話はキャッチボールだということを肝に銘じるように(オタクの会話は実質千本ノック)。


以上です。



頭も痛くなってきた

びっくりするほど眠れないのでなんか書きます。


そもそもTwitterがあるんだからなんかあればそっちに投げればいいじゃんという話もありますが、はてなブログってちょっとカッコよくないですか。はてなブログでなんか書いたら多少頭良く見えるみたいな感じないですか。この理論がすでにバカ丸出しという意見もありますね(「理論」と「論理」の使い分けがクリティカルにできません)。


なぜ眠れないかというと、まあ昼まで寝ていたからなんですが、起きている間も体力を使うような活動をほぼしていないためという理由も同じくらいの力を持って立ち上がってきますよね。最近することがないのでよく散歩をしているんですがいくら坂の多い町とはいえ1時間かそこら外を歩き回ったくらいじゃなんの運動にもなってないというのが体感としてあります、全然痩せてないし。じゃあ走ればいいじゃんという話もありますが走るという行為は今の僕にはもってせいぜい15分です、前述の通り僕の家の周りには坂しかなく走るのに非常に不向きな場所なのです、山の上に家があります。駅からも遠いしメリットは標高が多分高いので地震の際には津波は到達しないだろうという安心感くらいのものです。あと効いてるのかどうかわからない腹筋もしています。


もうだいぶ飽きてきました、このブログも記事の数を3つ数える前に記憶の中に埋もれてしまうでしょう。いろんな食べ物を一口齧っちゃ捨て、齧っちゃ捨ての飽食の時代に生まれてしまった僕らは。身の回りには遊べるおもちゃで溢れているのに退屈を叫ぶとは現代人は非常にぜいたくですね(かっこいい言い回し)。だいたいブログを書き続けることができるほど毎日何か起こるはずもないし、こういう日記の類のものを何度も放り投げたことのある身としては、こんなもの飽きることを前提に始めるというのは当然必然というものですよ、何事もすべて完璧を目指していればがんじがらめになって何もできないというのは自明の理ですし。6割くらい準備ができたら始めちゃうというのが一番いい気がしています(肌感)。


とにかく、Twitterをしてみたりゲーム配信をしてみたりたまに絵とか描いてみたり漫画みたいなものを作ってみてもなおいきり立って鎮まらない自己顕示欲および承認欲求を少しでも慰めるためにベッドの中で親指を四方にシュシュシュと滑らせているわけです、光る長方形のディスプレイの上で(iPhoneの3D Touch発動させるの難しくないですか?)。まあそこはバランス感覚です、あらゆるモチベーションを削らないようにいろんなものをうまく回していけるはずです。多分。


そもそもTwitterのフォロワーも150人弱という自己顕示欲などというワードをブチ上げるには狭すぎる人脈の中で生きる人間のブログなどは5人でも読んでくれればいい方ですので、これからどんどこ書き続けないといけないなどという義務感も感じようがないですが(〜〜感を感じるという言い方は誤用な感じがしますが他に言い方が思いつかないのでとりあえずこれで)、折に触れて、もしくはそれより少ない頻度で、文章を積んでいければいいなと思います。こういうのは読み返した時が一番楽しいものですよ(読み返せるほど文章をためたことはない)。まあそれをWeb上でやるというのは一定の気持ち悪さがありますが、そんなことは準インターネットネイティヴ世代の僕たちは全く気にしません。気にしないフリをする訓練を受けてきたからです。


多分性格上ポジティブなことは書けないので、もしまた他の記事を書くとすれば日頃思ったこんなんアリかよ、ここが不満だ一般社会みたいな話をすることになるでしょう。ここまで読んでいただいた殊勝なあなた、またぜひ来てください、意味なくこの記事を何度も読んでくれてもいいです。


以上です。ブログで食べていけるように頑張ります。