我流傍流ド三流

まとまったテーマやコンセプトは全くないつもりです

さくら園と僕

母親の叔母(伯母?)が入院したとき、看病のために母親は幼い僕と弟を連れて田舎に帰った。母親は両親を早くに亡くしていて、そのとき世話をしてくれたのがその人だったから。僕が幼稚園に通い始める少し前くらいの話だ。

 

母親は毎日病院に通っていたので、一時期僕たちは託児所というか一時保育の施設に預けられていた。

 

さくら園。

 

僕はとにかくさくら園に行きたくなかった。さくら園に向かう車の道のりがこの上なく憂鬱だった。病院に向かおうとする母親の車のキーにしがみついて大泣きした。さくら園に一人取り残されるのがめちゃくちゃ不安だった(弟もいたけど)。

 

給食もおいしくなかった。年齢でクラスが分かれていたわけではなかったので、自分より小さい子が何かを食べられないときは先生が怒りながら食べさせていて嫌だった。でも何より嫌だったのは昼寝の時間だった。

 

全員布団に入れられたが、僕は全く眠れなかった。子供のころは昼寝ができなかった。何もせず横になっていると自分を置いていった母親を思い出して寂しくなった。みんな寝ていると思っていたのか、先生たちが愚痴をこぼした。実際はそんな大したものではなかったのかもしれないが、子供なのでわからなかった。彼女らのわずかな嫌気を感じとって勝手に自分の中で増幅させていた。布団の中でずっと泣いていた。

 

昼寝が終わったら先生が布団を干していた。なんで干しているのか普通に気になったので聞いてみたら「あんたが泣いて濡れたから」と言われた。次の日も泣いた。

 

でもあとは帰るだけなので楽勝だった。帰りの会が始まるまでフリータイムみたいなものがあった。僕のことを気に入ってくれた女の子がひとりいて、よく遊んでくれた。花をくれたこともあったような気がする。でもその子はずっと僕の名前を間違えて覚えていた。

 

しばらくして僕はさくら園に通わなくてよくなった。僕はさくら園から解放された喜びでいっぱいだった。

 

 

 

 

高校生くらいの頃、さくら園が嫌だったという話を母親にしたことがある。

 

それを聞いた母親があの時はごめんねと言ったとき、僕はめちゃくちゃ嫌な気持ちになった。